こじらせ厨二病患者が転生して人恋しいお化けになったそうです。

はいさい(‘ω’)ノ

みなさまこんばんわ。

イベント21千葉支店セクションチーフ福嶋で御座います。

本日はイベント21で去年から行われている京都ヘッドセッションと言う各拠点の拠点長やマネージャーたちが集まって行う企業戦略を練る集まりでっかう拠点長たちの自分史を書くことになったのでタイトル通り福嶋の半生を書き綴ろうと思います。(笑)

、、、タイトル通り??

それでは早速行ってみましょう!!(‘ω’)ノシ

第一話 鳥のガラ?いいえ福嶋です。

性は福嶋、名は広貴。

父は芳一、母は津枝子、2歳上の兄は貴郁の4人家族の次男末っ子として神奈川県は横浜の中山に生を受けました。

生まれた時は両親からは鳥のガラみたいな赤ちゃんだったと言われ、軽く未熟児だったとかなんだとか。あと喋りだすのがあまりにも遅いので耳が聞こえていないのでは??と両親に心配され病院に連れていかれたこともあるとか。(笑)

母親いわく、「あんたは喋りだすのが遅かったから今そんなうるさいんだ。」とのこと。

だがしかし、そんなのは最初だけ。

乳幼児の福嶋は母親からの授乳だけじゃ飽き足らず同じ年に生まれたいとこの母親まぁようするに叔母ですわな。(笑)

その叔母からも授乳してもらうと言う大食漢。乳幼児から貫いていることは何ですかと言われれば迷わず大食漢であることと答えます。(笑)

ちなみにこのころは2歳年上の兄とも仲が良く兄が乳幼児の僕を見ながら満面の笑みで「僕の弟なの!?」と両親に聞いているビデオ映像がはるか昔には残されていました。

そんな仲睦まじい兄弟でしたがある日事件が起こります。

以下、母親談。

母「あの時はびっくりした。お兄ちゃんがヒロの使ってたハサミを取ろうとしてヒロが怒ってお兄ちゃんの指、ハサミで挟んじゃうんだもんwww」

兄「あれって俺が悪かったの??」

福嶋「・・・・」

まず、笑いながら話すことでもないし何故兄が覚えてるのかも怖いし取り敢えず黙ってニコニコしとこ、と思い福嶋はこの話の最中終始無言でニコニコしてました。(*’ω’*)ニコニコ

また母親が女の子が欲しかったとのことで幼少期の福嶋はヒラヒラのスカートを履いていたり髪の毛を結んでいたりと母親の女の子欲しい欲求を晴らすオモチャにされていた時期もありましたが福嶋が一切覚えていないのと母の小さいころと福嶋の小さい頃の区別のつけ方が写真の色くらいしかない程に瓜二つなので許そうと思います。(笑)

そして時は流れ福嶋ついに幼稚園へ!!

第二話 親友(とも)の名は「ごまちゃん」

幼稚園では体が大きいのもあり(多分この時で1m近く身長あった。)クラスのガキ大将的存在に!!なんてこともなくそれはそれは優しい男の子だったそうです。(笑)

親友のごまちゃんとは通園バスのルートも違ったのですがよくごまちゃんのルートのバスに乗って帰りごまちゃんの家で遊んでいました。(笑)

ちなみに初恋はありきたりに幼稚園の担任のともこ先生でした。(笑)

幼稚園はあまり語ることがないのでいざ小学校へ!!

小学校からは舞台は中山ではなく当時神奈川県でもトップクラスの治安の悪さを誇る大和市へ。(笑)

第三話 ~引っ越し、そして入学へ~

小学校の入学式、当時父が撮っていたビデオを見たのですが入学式で小学校のステージに登壇したのですがその際に両親を探しすぎて階段で大コケすると言う後ろの子たちからしたらめちゃめちゃ迷惑なことをやらかしつつも笑顔で入学。

余談ではあるが兄は幼稚園、小学校共に入園、入学の際は泣いていたようだが福嶋は一切泣かずにむしろ楽しそうだったとは母親の談。

そして小学校から野球をやり始める。

運動神経の塊のような兄とはかけ離れ運動神経のない福嶋は最初こそベンチもベンチだったが次第にうまくなっていき小3くらいの時に4番キャッチャー、そしてキャプテンと下位学年のチームではあったがドカベンの山田太郎と同じポジションになる。

だがしかしそんな栄光時代も終わりをつげ小学校4年時に野球をやめる。確か理由は飽きたから。(笑)

そして小4から卒業まではスイミングスクールに通う。

陸上ではアジリティが低い福嶋も水中ではそこそこのアジリティを持っていたようで割とすぐにスクールで特級スイマーと言う称号を得る。

補足だがこのスクールは剣道などと一緒で級位があり特級スイマーからは段位となり1~どんどん上がっていく形。その1段で福嶋は終わりだった。

が、しかし小6でそんな水泳ともおさらば。

理由は確か中学校に上がるから。(笑)

第四話 発症!!厨二病!!

中学では小学校6年背の夏休みに見たスラムダンクの影響でバスケ部に入部したが諸々あり1年くらいで退部。

そして中学2年の冬休みに福嶋人生の転機、転校が訪れる。

当時は本当に駄々をこねた、大和が好きだったので転校先の相模原から通うとか俺だけ大和に住むとかそれはそれは駄々をこねた。(笑)

まぁそんな子供の駄々など通るわけがなく敢え無く引っ越しすることに。

ここから舞台はまたも治安の悪い相模原へ!!(笑)

そして転校1週間でクラスからハブられることになる。。。

だがしかし転校で心が荒んでいた福嶋はそんなこと歯牙にもかけずだんだんと中二病を発症し当時好きだったゲーム「三國無双」から吉川英治著の三国志にドはまりしていく。

当時の口癖は「三国志があれば生きていける。」「友達とか邪魔なだけ。」「生まれ変わるなら三国時代」この三つである。(笑)

授業中であろうと休み時間であろうと家であろうと家族ともあまり会話をすることもなく三国志を読み耽って1か月、三国志を読み終わってしまう。

そして次に手を出したのは「伊達政宗」

伊達政宗の幼名である「梵天丸」がかっこよすぎるのと「独眼竜」と言う異名がかっこよすぎて一瞬で好きになる。

だが読み進めていくうちに伊達政宗は右腕片倉小十郎がいてこそだとわかり片倉小十郎信者となる。(笑)

中3に上がるころには見事に伊達政宗も読み終え「坂の上の雲」を読み始めようとするも内容が難しすぎて断念。そして中3で福嶋転校後初めての友達が出来たのもあり本は読まなくなる。

数か月前の口癖なんて何もなかったかのように楽しそうな中学ライフを送り始め担任から両肩をガッシリ掴まれ「福嶋ぁ、お前部活やってないのか!?ハンドボール部なんてどうだ!?やってみろよハンドボール!!」と担任に言われハンドボールを始める。

余談が多くて申し訳ないが、当時の福嶋は「いや、やめてください。ごめんなさい、肩掴まないでください、怖いです、ごめんなさい。。。いやお前美術部の顧問じゃん、ハンドボール部関係ないじゃん!!」と肩をつかまれた恐怖で思考が混乱していたのは言うまでもありません。(笑)

そんなこんなもあり中学3年時には拗らせそうになった中二病も無くなり割と普通のスクールライフを送っておりました。

そしてその後は特に何も問題なく高校生活へ

第五話 主人公誕生!!球技大会!!

高校時代は特に勉強しなくても入れそうだからと言う理由で入学した高校で3年間バスケ部として活動していました。中学の時のリベンジである。

結果、当時神奈川県でもトップ3に入る身長を武器にレギュラーを獲得、球技大会では周りのバスケ部から3P打てとガヤを飛ばされ眼だけで「入らないと思ってるの??」と応え、3Pを放ち福嶋人生最大の主人公を発揮しボールがゴールに入る前に華麗に後ろを向き人差し指を高く掲げる。その瞬間「スパン」会場「ドカン」女子からの黄色い声援、男子たちからの驚きの声。主人公が完成した瞬間だし、あれが福嶋人生でピークの歓声だった。(笑)

当時、女の友人から言われていた言葉は「福嶋はバスケやってる時だけはカッコいいのにな」だった。それ以外は寝てるか食べてるか寝てるかだったのでそういわれても仕方ない。(笑)

このあたりから怪我や病気に鈍感になり始めあまり病院に行かなくなる。(笑)

そして高校3年時にはゲームにも本格的にはまり始め(小学校の頃からはまってはいたが)高校3年時に発売したテイルズオブジアビスを買うために学校をサボり発売日に購入し家でやっていたりした。

そんな高校生活も特に大きなイベントがなく終わりをつげ高校卒業後に無事車の免許も取り舞台は専門学校へ。

第六話 緊急事態!!第二次厨二病発症!!

専門学校は実は犬のしつけやトリミングをする専門学校に通っていて、このタイミングでなぜか2度目の中二病(拗らせver)を発症する。

当時、犬に情熱を傾けるあまり人間不信に陥り常に一人で犬の世話をし誰とも会話しない日なども当たり前のようにあった。

この時の口癖は「犬の方が好き」「人類滅べばいいのに」この2つ。傍から見てもヤバい奴だし当時の俺殴りたい。(笑)

取り敢えず、犬に対しての情熱は凄かったので365日ほぼ休みなしで犬と触れ合って自分の当番以外の子たちも世話させてもらえたり講師の人たちしか触っちゃいけない犬とか先輩しか触れない犬とかも世話させてもらえたりしていた。

当時の福嶋は本当にごく少数の他クラスの人間と入学当初から良くしてくれている先輩としか話さないしとにかく人の事見下して他人の言うことには耳も傾けず自分の考えが一番正しい、それ以外が間違っているという思考で過ごしていた。

もう一回言うけど、傍から見てもヤバい奴だし当時の俺殴りたい。(笑)

そんな福嶋にも転機が訪れる。

第七話 初めての、、、

当時、たまたま休みの日に専門に行って犬の世話をしているときに地元が一緒の女の子がいてそこから地元の話しなどで盛り上がりその子と仲良くなり福嶋が初めて告白をすることに。

そして一緒に遊んだ帰り道、その子を駅まで送る最中に夜暗い公園沿いを歩いているときに、、、

福嶋「飽きた(突然)俺、お前と友達でいるの飽きたわ。」

女の子「・・・???」

福嶋「お前、俺と付き合うってどうよ??(キリッ)」

女の子「、、、???ん??」

3回目になるけど言わせてもらいたい。

傍から見てもヤバい奴だし当時の俺殴りたい。(笑)

17歳の福嶋の主人公っぷりは凄い。(笑)中二病拗らせてるし、主人公だし思い出してて変な汗出てくるレベルでヤバい。(笑)

まぁ告白の仕方はひとまず置いておいて無事に彼女が出来た福嶋の中二病は徐々に治っていくことになる。

そこからは犬への情熱はそのままに専門学校を卒業していくことになる。

専門では実際に世話していた犬が亡くなってしまったり世話していた犬が里親のもとに行ったりと色んな意味で「命」について勉強することが出来ました。

そして専門学校を卒業し、いざ就職!!と言うわけにはいかずしばらくフリーターでのんびりと生活します。

第八話 フリーター、マレーシアへ行く。(笑)

実はフリーターになる前にトリミングサロン兼ペットホテルに就職もしたのですが思ってたのと違うという理由で2か月くらいで辞めてしまいます。

専門で沢山教えてくれた講師の方々や先輩、当時付き合っていた彼女、何よりも高い学費を払って専門に通わせてくれた親の気持ちなんて微塵も考えないその時の自分の感情でしか動かないしその考え方が一番正しいと思ってる。当時の福嶋はそんな人間だったので何でもかんでもすぐに辞めたり不平不満を言って周りを困らすことしかしない人間だったと思います。

その後は派遣で工場勤務しながら彼女と一緒に犬のお店を出すという目標の為お金を貯めたりしたのですが結局彼女とは別れてしまい思い付きでマレーシアに一人で1か月半ほど滞在していました。

このマレーシア1人旅行からが長い長い第一回転生期が始まります。(笑)

特に英語を喋れるわけでも聞き取れるわけでもなかったので結構苦労したけど現地の人たちメッチャいい人多いし屋台街は活気あるし最初の3日間は怖すぎてホテルの部屋でずっと蹲ってたけどなんとなく慣れてからは割と歩いてどこでも行くようになりました。

取り敢えず潔癖症なのでホテルだけはしっかりとしたところを取りそれ以外は貧乏旅行の真似事。(笑)

最初はマレーシアの首都のクアラルンプールに居て屋台街の甘味売ってるお兄さんと仲良くなって、その次は少し場所変えてチャイナタウンに宿を取って数日かけて近くの名所を回ってそこから長距離??バスに乗ってマレーシアのリゾート地ペナン島へ!!なんとなく高級ホテルと言う場所に泊まってみたくなってペナン島最初の宿はプール付きの高級リゾートホテルへ!!(笑)

実はこのマレーシア旅行出会いが3つあって一つがクアラルンプールで甘味売ってるお兄さん、そしてこのリゾートホテルに泊まってた2人組のお姉さん、最後に脱水と貧血でブラックアウトして倒れた福嶋を助けてくれたおシャレ髭のお兄さん。

この3つの出会いで今考えればめっちゃ後悔してるのがお姉さん。(笑)

色々あって仲良くなったお姉さん2人と一緒にエレベーターに乗ってて部屋の階数の話しになった時に福嶋が7階、お姉さんたちが3階くらいで

お姉さん達「へぇ~!!いいですねー!!景色とかめっちゃ綺麗そう!!チラ」

福嶋「そうですねー。結構きれいですよ!!夕焼けとか凄いキレイです!!」

お姉さん達「いいなー!!」

福嶋「ありがとうございます。あ、じゃぁお疲れ様です。」

・・・俺のバカ。。。おい。俺のバカ。。。

それでも本当にお前は男の子か!!

昔から福嶋は女性に対して免疫がありません。(笑)確実に必要以上に距離を取ります。(笑)

そしてリゾートホテルを後にして次はペナン島の市内に宿を取り色んな名所を回っていたところ、風水をもとに建てられた家があると聞き、そこで3つ目の出会いを果たします。

この出会いがあったからこそいろんな所で不意の優しさ発揮できるようになったと思います。(笑)

その日は気温が40℃越えで水がないとすぐに脱水症状で頭痛くなるレベル。しかもそこら辺の水道の水は飲めないし、そんな中水もそんなに飲まずに各地を歩きまわりその日最後に行こうと思っていた風水ハウスへ。

個人的には家の中をフラフラと見てすぐに帰れると思い入館料を払って入ったら謎のツアーが始まってしまい訳も分からず話を聞いているといきなり力が入らなくなり目の前が真っ暗に。立とうとしても足に力が入らず何もわからないまま数秒、割と強い力で肩を叩かれて「Are you OK!! Are you OK!!」と大きな声。

なんとなく目の前の景色が戻ってきたと思ったらめちゃめちゃイケメンなお髭を小さく三つ編みにしているお兄さんに思いきり肩叩かれて声かけられてました。(笑)

とりあえず何か言わなきゃと思って「I,m fine」と繰り返しましたが顔色真っ白唇も色が悪かったのでお兄さんがひたすらに

お兄さん「大丈夫か??何か飲むか??オレンジ、コーヒー、コーク、どれがいい??」

福嶋「いや、大丈夫です。ありがとうございます。」

いや、チョイスよ!!(笑)水はどうした!?と優しくしてもらえてるのに心の中で盛大に突っ込みつつ最後に「ありがとうございます」ときちんとお礼を言ってホテルに戻りしっかり休んでから夜ご飯を食べに近くのフードコートへ。

とりあえずご飯も手に入れたし食べようと空いている席に座りご飯食べようとしたら昼間助けてくれたお兄さんがいるじゃないですか!!とりあえずすぐに話しかけに行って他愛もない話をして今日のことを感謝して改めてさよなら。

多分、もう会うことはないと思うけどあのお兄さんのことは一生忘れないと思うしあの時優しくしてくれたことは本当にうれしかったので自分もお兄さんと同じことができるような人間になろうと誓う。

帰国前日にはクアラルンプールに戻ってたので甘未売りのお兄さんにもサヨナラしました。最後にお兄さんが「寂しいよ」って言ってくれたのはしっかり覚えてる。

そんな感じでマレーシアの一人旅も終わり帰国の日。            母親が成田??空港まで迎えに来てくれて第一声が「痩せた??きったない顔して。(笑)」いや、うん。確かに汚い顔もしてたし痩せたけど。(笑)息子は帰ってきた実感が一瞬でわきました。(笑)

そこからは日本語通じない場所であんだけやれたんだから日本にいる限り何でもできるし問題ないという考えのもと演劇の世界に入ってみたりイベントの司会やってみたりラジオDJみたいなことしてみたり色んなことをしてたけど一番楽しかったのは居酒屋のバイトでした。

第九話 働く居酒屋店員。

今までのバイトのイメージを全てぶっ飛ばしてバイトであっても「働く」って楽しいんだってことを教えてくれた場所でした。

尊敬できる社員の方々とバイトの先輩。頼ってくれる後輩に、福嶋がいるからこの店に来てる、福嶋の接客が好きでこの店に来てるって言ってくれたお客様。 あと、同業で居酒屋の店長やっているお客様には「この地域で一番適当な店員」と親しみを込めて呼んでもらえました。(笑)

本当に居酒屋バイトではいろんなことを教えてくれました。もう辞めて7年くらい経つけど未だに遊んでる先輩と後輩いるし行けばいつでも変わらず迎えてくれる店長いるし自分にとってこんなに特別な場所ができるとは思わなかったです。

毎日14時に入って立ち上げの準備して16時50分に開店前の朝礼で店舗理念とか全員で外で叫んで、声大きすぎて警察呼ばれたりしてそこからは店舗の中になったり。(笑)

17時オープンで土日とか忙しい日だと22時とかまで休憩無しで働いてその後25時くらいから徐々に締め作業して26時閉店。

月に一回はそこから店舗会議でバイトもみんな集まって朝までお店をより良くするためにどうすればいい??って言うのを毎回テーマを出して本気でMTGして年に一回の社内での接客コンテストとか優秀店舗発表とかも寝ないで準備して練習して終わったら次の日のことなんて何も考えないで打ち上げして朝8時くらいまで遊んで次の営業全員死んだ顔しながらも声出して笑いながら働いてって言う本気で働いた後に本気で遊んでまた本気で働いて、だから働くのも遊ぶのもめっちゃ楽しくて常に本気でやれるんだなってその時本当に気付きました。

もちろん楽しいだけじゃなくてお客様にいきなりクレーム入れられてイラっとしたりおばさんに逆セクハラされて本気で洗い場に逃げ込んでほっぺた洗ったりそれ見た先輩に腹抱えて笑われたり、嫌な記憶もあるけど嫌な記憶ですら楽しく笑いごとにできるくらい良い環境と良い仲間と一緒に働かせてもらうことができました。今でもこれからも永遠に感謝しかない人たちです。ありがとうございます。

そんな大好きな場所でもいつまでもバイトでやっていくことなんてできるわけもなく辞める時が来て辞めた理由はめっちゃ良い環境にバイトっていう責任もない立場でいつまでも甘えてやってたら意味がないと思ったから。

第十話 発見!!イベント21!!

そこからカフェで働きながら演劇とか続けて色んな事が重なって30歳までは遊んで暮らすんだ(*´з`)なんて言ってた自分ともおさらば。

本気で働かなければと思い何して働きたいか考えてるときに皆で何か作るのとか好きだなと思いイベント関係の求人を見て一発目に開いたのがイベント21で社長の「橋を創りたい」って夢とその理由とブログとか読んでこの会社なら楽しく働けると思い、思い切ってエントリー。

確か一番最初に見たブログは小杉さんがキャノン砲をお客様に出す前に自分たちで動作確認してるブログだった気がする。(笑)

その時の印象は若い人だなー。年下??年上??けど怖そうな人だな。だった。

そして髪の毛も切り若干のパーマもかけ身なりを整えいざ面接日!!

一番最初に面接してくれたのは今やステップの社長の聖二郎さんと現東日本エリアマネージャーの古田さんでした。

結構、緊張してて何話したかあんまり覚えてないけど聖二郎さんの「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」の意味を教えてくれた話は覚えています。

鳥のガンの話でものすごい納得したのを覚えています。

そして一次面接が終わり二次面接に進ませてくださいと連絡しいざ二次面接。

そこで初めて現イベント21統括マネージャーの小杉さんと言葉を交わします。

二次面接は聖二郎さんと小杉さんの二人、一次面接よりも緊張も解けていて割とフランクにいろいろと話せたのを覚えています。

そして最後に何か質問はと言われたときに「夢は何ですか?」と質問して小杉さんの地元への熱い思いを聞いて、尚更イベント21に入りたくなり福嶋勝手に入社を決意。(笑)

あとで聞いた話だと「夢は何ですか?」と不意に聞かれ小杉さんは面接後少し病んだそうです。(笑)

そして、福嶋の入社が決まり来る4/15福嶋初出社でした。

第十一話 入社!!イベント21東京~神奈川初期編

正直1年目は必死すぎてあんまり覚えてないけど、営業中にずっと歌ってて後ろの席の人に「うるせぇな」って言われたり現日吉施工部のなべさんとの距離の詰め方間違って嫌われたり(笑) 今一緒に千葉支店で働いてくれてる武田のことを武田さんって呼んでたり。(笑)

入社2か月くらいで神奈川支店が正式にオープンしたので東京支店から神奈川支店に移って正式に小杉体制で働くことになり「俺たちはイベント21の起爆剤になろう」って小杉さんのビジョンの下一致団結して、「倉庫作業とかは俺らに任せてくれていいから福嶋は案件対応してくれ」って小杉さんとなべさんに言ってもらえて本当に多いときは一月で200件以上平気で案件対応して営業としてのプライド持って仕事してそのプライドが行き過ぎて神奈川支店の全体会議でなべさんと本気で喧嘩したりして全員が全員自分のやってることにプライド持って働いてたと思いました。

そこに、現日吉倉庫施工部の小澤が中途入社で入ってきてインターンとして来てた現神奈川支店サブリーダーの樫原ともう一人と割と毎日楽しく働いてました。

一年目はとにかく尖がってていろんな問題起こして小杉さんに迷惑かけてそれでとことん守ってもらった一年目でした。

小杉さんとなべさんと三人で日吉の居酒屋で飲んでるときに何があっても全然怒らない二人に対して二人が人に対して怒れないのであれば自分が代わりに怒りますと宣言したこともありました。(笑)ちなみに初年度の犠牲者は小澤君。(笑)

その甲斐があってかどうかはわかりませんがイベント21三大行事の中でも最大の経営方針発表会で拠点賞を頂くことができました!!

また初めて大型案件に挑戦させてもらったのも1年目~2年目にかけてのタイミングでした。

本当にこの時もたくさんの人に助けてもらいマジで泣きそうになりながら精神不安定になって日吉の事務所の二階でもう無理だと突如仰向けになり茫然自失になったのを覚えています。(笑)

2年目は神奈川支店でリーダーの職に就かせてもらいました。

この年に現神奈川支店サブセクションチーフの中村が入社してきます。

リーダーと言われても正直自分自身も二年目だったしわからないことしかない状態だったので本当に何もできないリーダーでした。

ただそれでも挨拶とか、気を遣うことだとかはしっかりとやっていたのでぎょうう的なところは本当に教えられることの少ないリーダーでしたがそこだけはしっかりと伝えていこうと思いそこはしっかりと伝えることができました。

とか言うけど皆もともと本当に真面目な子たちだったのであんまり教えることもなかった気がするのですが。(笑)

そして福嶋が2年目の時に今やイベント21では当たり前になっている3大社内行事の一つサマコンが初めて開催されました。

この時は小杉さんが事務所で不参加だったのですがアワードでは拠点賞を頂くことができて皆で喜んだのを覚えています。

ただまぁあまり多くは語れませんが第一回サマコンも福嶋が成長できた出来事の一つだったと今なら思えます。(笑)

あと2年目は神奈川支店史上最大に激動の年だったと思います。

今だからこそ青春だよねって笑えるけど当時は凄かったなぁ。(笑)

ちなみに小杉さんが福嶋の車の社内で泣いたのも2年目でした。(笑)

本当によく乗り切ったなと思います(笑)いきなり青森行くことになるし、楽しかったけど。(笑)

そして個人としてはイベント21三大行事の中でも最大の経営方針発表会でyou happy,we happy!賞を頂くことができました!!

第十二話 波乱万丈からの。。。

そして3年目、神奈川支店のサブセクションチーフとして働かせていただくことになります。

ちなみにこの3年目で現在の新横浜の事務所に移転します。

移転作業もたのしかったなぁ。(笑)みんなでワイワイしながら日吉からデスクとかいろいろ運んで。(笑)

そんな新横浜に事務所が移転して施工部と営業部で完全に場所が分かれて今まではその場ですぐに解決できたし言えることもあったけど顔が見えないだけでこんなにできてたことができなくなるんだってくらい問題が出てきてそれを毎月リーダー会議とかで話し合ってリーダー会も2時間とか平気で超えるくらいやるようになってあの時はあの時でやっぱり本気だったなって振り返ってみると思います。

あと3年目で初めてリーダー合宿の担当者を任せていただきました!!

これが本当に良い経験というか成長の場になりました。スケジュール的には来期から千葉支店のセクションチーフに就かせていただくことが決まっていたので千葉支店の事務所を探しつつ社長ミッションで熊本に行きたくさんの経営者の方とお話をさせていただきそのまま神奈川に戻らずに京都に行きリーダー合宿に参加するという流れでドタバタの中でしたが結果として反省点もたくさんありましたがその分成長できたので本当に体二つくらいほしくなるスケジュールでしたがやってよかったです。

そして、4年目ついに福嶋千葉支店セクションチーフに。

最終話 こじらせ厨二病患者が転生して千葉支店セクションチーフになったそうです。

当時、千葉支店のサブセクを誰にするかと言うところで結構悩んでいて小杉さんとも深夜のコンビニの前で相談乗ってもらったりして、最終的にはサブセクションチーフには当時、東京支店でリーダーをしていた武田に来てもらいました。

武田を誘った時の言葉は「回りくどいの嫌いだから、単刀直入に言うわ。千葉のサブセクやらない??」でした。(笑)

正直、セクションチーフになるにあたってめちゃくちゃに悩みました。

自分は神奈川支店でセクションチーフになって小杉さんを支えつつ神奈川支店を。という考えしかもっていなかったし神奈川から出る気も最初はありませんでした。

ただ、神奈川支店で小杉さんの下でいつまでも守られて自分の足で立たないのは昔バイトしていた頃の責任も何も負わずに楽してた福嶋と何一つ変わらないし自分自身今までたくさんの経験をしてきて結局何も成長してないって自分で思うのはダサいし社長はじめ色んな人から期待してもらってそれに応えないのもダサいし今までおんぶにだっこでやってもらってんだからいい加減自立しようぜ、俺。

と、思って千葉支店のセクションチーフになることを決断しました。

千葉支店OPEN前に神奈川で最初からお世話になっている小杉さんとなべさんとのほぼはじめてに近い3ショット。(笑)照れくさいわ!!

そこから始まったのは本当に味わったことのないくらいのストレスと自己嫌悪でした。ただ、小杉さんからの「胸に神奈川、背中に千葉を背負って」という言葉を思い出し周りの人に助けられ、福嶋第二回転生期人恋しいお化け(HKO)に転生します。(笑)

正直、自分自身上手くできるとは思っていませんでしたがここまでか。ここまでうまくできないかと思い、最初は周りのせいにして「ふざけるな」と思うことしかしなかったのですがたくさんの方からいろんな言葉を頂いて実際問題じゃぁ自分はどんだけ下の人間に見せれる背中してんだ?と自分の行動を振り返り全力で矢印を自分に向け自分原因論でとことん向き合ってみました。

しんどかったー辛かったー。(笑)

本当に精神崩壊すると思いました。(笑)なんでもかんでもとにかく自分に原因があると考える、支店のメンバーの悪いところは全部自分が関われてないから。けど、関わるには今の自分じゃ信用なんてしてもらえていない。どうしようどうすれば関われるようになる??どうすれば発言に説得力が出る??自分の行動を変えるにはどうすればいい??とにかく千葉支店のメンバーのことをずっと考えてました。それと比例するかのように古巣の神奈川のメンバーに対して電話する量が増える。そうです。気兼ねなく話せる人気兼ねなく遊べる人たちが恋しかったのです。立派なHKOの完成です。(笑)

そんなHKOですが、たくさんの方々の力を借りて考え方を根本から変えます。誰にでも自分にない尊敬できるところがある。まずはそこをしっかりと認めよう。そこから人には十人十色の考え方があるんだからそれでいいじゃない。ゴールが同じなら道程はたくさんあるじゃないと考えれるようになりました。

イベント21での4年目千葉支店セクションチーフ1年目。

正直、福嶋の人生で一番しんどいことが起き続けた1年でした。

それを乗り切り自分の行動をとことん変えようと動き福嶋自身にも行動が変わってきた実感ができたタイミングで、来期(今期)千葉支店ビジョンに掲げたのが「3つの基礎を大切にする組織」このビジョンは支店のビジョンとしても考えたものですが自分自身へのビジョンという意味合いも大きくセクションチーフとしてやった去年1年間の反省を込めて上の人間は下の人間を見てるのが当たり前、けど下の人間は上の人間が下の人間を見る3倍は上の人間を見てる。だから社会人として、イベント21という企業に属している人間としての基礎を心技体の3つ基礎で表したものです。

まず心の基礎は理念、自分は果たして本当に理念に沿った行動ができているのか常に自分に問いかけ行動すること。

次に技の基礎は仕事力、電話対応はいつだれが見てもすごいと思われるような対応をできているか各自のステージでの仕事はきちんとできているかしっかりと考え仕事を行うこと。

最後に体の基礎は社会人としての在り方、遅刻はしてないか??一緒に働く人たち、会社の人たちの迷惑になるようなことはしてないか??挨拶はできているか、感謝と謝罪はしっかりと言葉にして伝えられているかをしっかりと一日の自分の行いの中で振り返れているか。

以上の3つの基礎をしっかりできるような人間に全員がなろうというビジョンです。

OVA イベント21千葉支店のここまでとこれから。

今年はコロナの影響で全員常に出社できるわけではないので常にコミュニケーションをとっていけるわけではないですがだからこそ好転することもあるのです。

というところで福嶋福嶋イベント21入社5年目そして千葉支店セクションチーフ2年目の舞台のスタートです。

とにかくコロナの影響で分からないことばかりだし出社できないこのほうが多いという状況ですがとにかく必要な情報を分かりやすく下の子たちに迅速に伝えてあげるというのを徹底しました。質問があればいつでもしていい、もし質問されたことが俺も分からなければしっかりと確認して答えるから、と言ってとことん情報共有はわかりやすく丁寧にそして迅速に。

というのを心掛けました。

そして、福嶋も出社できない日も増え遊びに行くことのできない日も増えてきたそんな時福嶋の人生を変えるであろう出会いを果たします!!

それは「中田敦彦のYou tube大学」テレビは観ないがYou tubeは観る福嶋。武田にもおススメされていたYou tube大学でも観てみるかと思いどれを見ようかなと探していると。

「自己肯定感」の文字がなんとなく興味を惹かれて観てみたら福嶋が今まで感じていた劣等感や自信の無さその原因は自己肯定感が低いからだよ!!とあっちゃんに力説される。

目から鱗、青天の霹靂、寝耳に水、なんかもうとんでもなく衝撃を受けた。

それからというもの料理をしているときご飯を食べているとき洗濯物を干しているとき色んな隙間時間にその講義を聞いて誰でも簡単に今すぐできる自己肯定感を上げるための努力をした結果、いろんな場面でポジティブになれるし今まで自信がなくて発言できないような場面でも発言できるようになったりといろんな場面で自分の考えを言えるようになってきた。

それと同時期に、以前に面と向かって

「私福嶋さんの事嫌いなんですよ!!」と言われた千葉支店サブリーダーの岩井との関係性が好転。

そこからは千葉支店5人の雰囲気は一気に良くなり、このコロナの状況下で自分たちに何が出来るか、会社の為に支店の為にできることはと言うのをしっかり考え、コロナで全員揃ってコミュニケーションを取る機会がないので「千葉会」と言ってオンラインで全員集合して好きなものをプレゼンしたり雑談したり、少しでも問い合わせを上げて決定につなげる為にブログを週5更新にしたり、一件一件の問い合わせの大事さが身に染みてるからこそ一人一人が案件担当ではなく全員で一件の案件をしっかりと対応する。そして自分たちで動けるところは自分たちでとことん動く!!と、自分たちでできることは何でもやっていく精神で動いていきました。

その一環ではないですが、この間は千葉支店の全員で休業の日に集まっていつもお世話になっているハイエース、千葉エースの洗車と支店の敷地内に大量に生えている雑草の除去をしました!!(笑)

あれ??ガラ悪くない??岩井さんのディレクションです!!

第二章 予告~千葉支店のこれから~

洗車の少し前令和2年8月、コロナもようやく少し落ち着きも見せた頃、社長が千葉支店に来られた日の夜。

福嶋にマネージャーになる選択肢が与えられた。

正直、来期なれるならマネージャーになろうと考えていたので渡りに船だった。すぐにその場で立候補させていただきますと返答した。

マネージャーになろうと思ったのは小杉さんへの対抗心と尊敬から。

相も変わらず自信もないし実力もないことは自分が一番理解しているがそれでもこれだけたくさんの物を貰っておいて応えられないのはやっぱりダサいよなと思ったこと、そして何より小杉さん古田さんが抜けた後に東日本をまとめなきゃいけないのは自分だと自然と思えたからです。

とは言えまずは今の与えられている千葉支店のセクションチーフの責任をしっかりと果すことが絶対なので残りの2Qに関しては現状の千葉支店の課題でもある目標達成率、決定率、そして倉庫環境(施工としての動き)、全員が出社体制になった際の意識の統一の仕方。

以上に対してどのように対応していくか、毎月のリーダー会で話し合いそこから全体会議で話し1か月でしっかりとPDCAを回していく、そのため責任者をしっかりと決める。

現状の千葉支店の弱い部分である決めたことを継続して行うと言う部分を克服し去年とは違う、拠点としてスタートした千葉支店を皆さんに見せていきます。

また雰囲気がいいからこそ個人個人が鳴りたい自分像にも注目し一人一人の成長にも力を入れていきたいと思います。

そのためには拠点長として、次期東日本エリアマネージャーとしてっかうメンバーのなりたい自分像をしっかりと把握し常に念頭に置かせるための言動を心掛けていきます。話し合いをするときは常に理念やコアバリュー、そして個人個人のなりたい自分像のことも含めて考えることを徹底します。

社長呑み!!この日楽しかった!!

あとがき。

はいさい(‘ω’)ノ

史上最長のブログはどうでしたか??(笑)最後まで読んでくれた方々には本当に感謝です。

稚拙な文を読んでいただきありがとうございました。

ここで、個人的にはなるのですが関わってくれた皆様へのお礼を記させていただきます。

まずは千葉支店の皆。

武田、何よりも千葉支店に一緒に来てくれてありがとう。来てくれるのはわかってたし信用してた。ただ来てくれてから何もできない拠点長の代わりに拠点をまとめてくれて新卒の面倒も見てくれて俺の悩みも相談も全部聞いてくれて多分武田がいなかったら俺は会社辞めてたと思う。そんくらい武田の存在は俺の中で大きかったしありがたかった。しかも来期の千葉支店のセクションチーフになるとまで言ってくれて、本当に嬉しかった。これからも多分できないことの方が多い拠点長だけど宜しくお願いします。このまま誰が来ても楽しく働ける自分らしく働ける拠点にしていきましょう!!

岩井、色んな事があったけど今はイベント21の中でもトップクラスに信用してる。岩井と二人でラーメン行ったりくだらない話してるときは割と嬉しい気持ちが大きいです。(笑) 今、岩井も大変なタイミングだろうし自分の事だけじゃなく色んな人のこと考えなくちゃいけないし悩むことは多いと思うけど何かしんどいことがあったら遠慮なく言ってください。どんだけ力になれるかはわからないけどできることはやらせてもらいます!!これからも千葉支店の爆弾娘として一緒に支店を盛り上げてください!!

矢野、警察はアプリで呼べません(笑) 計画性とか先のことを考える力って言うのは千葉支店じゃ一番あると思います。本当にそうゆうところ尊敬してます。 最近は出社のタイミングも合わないけど「千葉会」を提案してくれたり支店のコミュニケーション不足解消のために率先して動いてくれた矢野には本当に感謝しています。 あの時の矢野の動きがなかったら今も多分千葉支店はまとまってなかったし狂気のサマコン動画も完成しなかったと思います。 いつも支店の事を考えてくれてありがとうございます。 これからも皆がやりたいことをできる支店を一緒に創っていきましょう!!

池田、最近ようやく池田のことがわかってきました。(笑) よく困惑させてごめんなさい。(笑) 俺はこういう人間だ。(笑) 入社したタイミングでこんだけ大変な状況になってしまって不安な気持ちもたくさんあるだろうけど千葉支店の人たちは基本的に遊びたがりの人間たちしかいないから千葉支店の人たちと遊んでやろうかしらって思った時は遠慮なく池田からも発信してくださいね!! 多分皆すぐに集まるで。(笑) まだまだ分からないことも多いしいつ出社できるようになるかわからないけど、これから沢山ぶっ飛んでいる千葉支店の事を知っていってください。そんで誰が入社しても安心して働ける支店を創っていきましょう!!

小杉さん、常に自分の上に居てどんな時もしっかりと背中見せてくれて本当に尊敬しています。そしてむかつきます。(笑) 絶対に同じステージに上って小杉さんと同じ景色を見てやります。ここまで尊敬できた人は人生で初めてでした。 本当にいつも感謝しかしていません。これからも盛大にやらかしていきましょう!!(笑)

古田さん、最近では僕の疑問はすべて古田さんに流れていきます。(笑) 本当に信頼していますし、尊敬しています。古田さんのロジカルに考えられる思考力、そしてマネージャーとして伝えるべきところは伝えて人の成長を考えてくれているやさしさ。自分も見習っていきます!!

改めて上記に上げさせていただいた皆さんがいてこその福嶋だなと実感します。改めて皆様本当にありがとうございます。 皆さんがいるからこそ福嶋はやりたいようにできるし何があっても折れずにやっていけてます。 これからもこんな福嶋を宜しくお願いいたします!!