武田の自分史~平凡な人生から刺激ある人生へ~

皆様こんにちは!
今回は、昨年から始まった弊社の行事の一つ、京都ヘッドセッションで自分史を書こう!ということでこういったタイトルになってます。

中々恥ずかしいですが、私のこれまでとこれからをここに記します。
まずは簡単な自己紹介から
名前:武田 龍人
1994年生まれ。現在、26歳。
趣味:
音楽(主にロック、パンク、最近はシティポップのようなおしゃれな音楽。笑)
漫画(ワンピースをずっと読んでます。他にも色々読んでるのでそこそこ分かります。今一押しは絶対にアオアシ)
ゲーム(モンハンとポケモンはほぼ全シリーズやってます。エンジョイ勢です)

さて、ここから僕の生まれから見ていきましょう。(興味ないとか言わない!)

1.生まれ

私が生を受けたのは、愛媛県は新居浜市。
新居浜太鼓祭りという、徳島の阿波踊り・高知のよさこい祭りと並ぶ四国三大祭りとしても知られており、また日本三大喧嘩祭りとしても有名な祭りがあるところで生まれました。
親が祭り大好きで小さい頃は祭りになったら、髪を遊ばれるというのが毎年の恒例行事。
そのせいか?僕は祭り大好きとまではいかない、そこそこ好き。笑

ここ数年、東京ドームで行われている『ふるさと祭り』にも愛媛から太鼓台を持ってきて、東京ドームでお披露目してます!
僕も昨年は見にいき、今年は地元の友達の地区の太鼓台が来るということで、かき夫として参加してほしいとお話を頂いたので、担いできました!

のちの「まじ卍」である

中々の田舎で生まれました!めちゃくちゃ田舎ってわけではなく中々の田舎。笑
基本的に保育園から中学までほぼ全員知った顔。笑
夏は海?山? いいえ…川です!

アユ釣りもできたりします!釣った魚はその場で塩焼き!これが美味い!
最寄りの駅。こういうスタンドバイミーみたいなこと出来ちゃうくらいには田舎です。

2.小学生~高校生

小学校の頃はサッカーをやり、中学は野球部に入り、高校はラグビー部に入るという、なんとも一貫性のないスポーツ歴です。笑
部活はちゃんと3年間やりましたよ。笑 
唯一3年以上続いたスポーツが、小学校~中学2年までの8年間の空手だけは続けてました。
小1の頃、親に無理やり連れていかれ、小3くらいまで毎週練習帰り泣いてた記憶があります。痛くて。笑
小4くらいから少しずつ楽しさを見つけてやれていましたが、高学年だからという理由で大人に混じっての練習は今考えても理不尽だ!と思います。笑
自分の親も一緒にやっていたんですが、大人に混じって行う練習でずっとボコボコにされてた記憶しかありません。ローキックの練習は自分の親と当たるのが嫌で、ずっとどうすればこの場を切り抜けられるか。を考えてました。笑
ただここで子供でも大人を倒せるみぞおちへの正拳突きを習得します。笑
拳が小さいのでうま~く打てば、いいところに入るんですね~これが。笑

そんなこんなで中学へ上がります。
とりあえずサッカー部に入るんです、最初は。
ただサッカー部の一部の先輩が嫌いで辞めて、野球部に行きます。笑
小学校の時、一緒にサッカークラブに入って友達がなぜかほとんど野球部に入っていたこともあり、楽しく野球部で過ごします。
6番レフトという何とも言えない守備位置と打順。笑
これは田舎あるあるですね。人少ないから別に上手くなくてもレギュラーになれるという。笑
7つ離れた弟がいるんですが、弟に運動神経は全部持っていかれたと中学で悟ります。笑

この中学で心霊体験を経験します。消したはずの家の座敷のテレビが勝手に付く現象が頻発します。ある日、学校から家に帰りカギを上げた瞬間、音が聞こえて、あ~また付いてるよって思い消しリビングで涼んでいるとまた座敷から音が聞こえるので行くとまたテレビが付いてるんですね。怖すぎてダッシュで母親の仕事場へ行き、「母さん!やばいって!」と言って仕事場で匿ってもらっていました。笑
特に霊感があるわけではないので、心霊体験はこれっきりです。お化けは今でも信じてます。笑

そして高校へ。
高校は『自称』進学校の高校へ進みます。この自称が大事です。笑
部活は基本痛いの嫌いなのに、ラグビー部へ。笑
バリバリのコンタクトスポーツ。ただ僕のポジションはスクラムハーフというポジションなので基本、タックルには行きませんでした。ダメなんですけどね。笑
当時、僕かなり華奢で体重も50㎏程度だったので、ラグビー部です。というとかなり驚かれましたね~
思い出に残っているのは、ラグビーの試合でゴールライン手前で自チームは僕だけ、相手の自チームラインを抜けてきた人は体重120㎏クラスの重量級。行くしかない!とタックルいった瞬間、ぶっ飛ばされたのを今でも覚えてます。ラグビーのおかげで、ヘルニアと膝の靭帯がおかしくなりました。笑

このくそダサい投げ方。どうぞ笑ってやって下さい。笑

高校では甘酸っぱい経験もしました。笑
階段ですれ違ったクラスの違う名前も知らない女の子に一目惚れをし、中学からの友達のつてで連絡先をゲットして…みたいな。笑
割とちゃんと青春と呼べる青春を過ごした平凡な学生時代でした。
後に母親から「あんたは反抗期全くなかったけん、楽やった」と言わせるくらいに平凡でした。笑

3.専門学校

高校の3年の進学か就職かというタイミングで漠然と4年大学いくのか~なんて思ってましたが、どうせ働くなら好きなことしたいなーと思い、僕の好きなことはなんだろうと考えたときに、中学の頃にELLEGARDENにハマったことをきっかけに、ロックやパンクといった音楽を聴き、フェスやライブに行ってました。
それを高校3年生の頃に思い返し、これだ!と思ったのと、地元からどこか遠い地に行きたい!という願望から東放学園音響専門学校に入学します。

この時、今やイベント21の全体マネージャーである小杉泉貴と出会います。右も左も分からない教室の中で一番最初に話したのが、小杉でした。今思い返すと、清水橋交差点の横断歩道上で小杉君・武田君と話しながら、デニーズに行ったのは笑えます。笑

懐かしの学園祭です。笑

この専門学校で色々な音楽を知れたこと、様々な国、都道府県の人と関われたことは僕の人生において良い刺激になりました。

4.イベント21~東京支店入社~

僕の自堕落な性格が災いし、就活を始めたのが専門卒業1か月前。
元々、バンドのマネージャーになりたくて入った専門学校でしたが、就活はもちろん上手くいくはずもなく、結局卒業後、10月までフリーター生活をしてました。
就活も並行して行っていましたが、中々思ったようにはいかず、どうしようかと思っていた、ある日専門の友達と飲み行った際、小杉の「もうウチくれば??」という一言で、その日解散した夜にエントリーシートを記入し応募。笑
トントンと1次、2次と進ませていただきました。
2次面接終了時点で採用!となり、その日16新卒の内定式があるとのことで、「参加する?」の一言で急遽僕も参加。笑
この時いたのが、矢口さんと根本さん。後々聞くと二人は以前の説明会から顔を合わせており、突然知らない人が内定式にいる…誰?となっていた模様。笑

そんなこんなで2015/10/16にイベント21入社!
半年後、次期東京支店セクションチーフの根本さんと矢口さんが、4月上旬に次期東日本エリアマネージャーの福嶋さんが入社してきます!
入社して矢口さん根本さんに内定式で会った時の武田さんじゃない!と言われたのはお世辞でも嬉しかったです。笑

とにかく入社してからはいち早く仕事を覚えることに必死でした。
ある程度覚えてきたら、いかに効率よく一日の業務をこなしていくか。そんなことを考えながら仕事して、気付けば入社して10カ月程?でチームリーダーのお話を頂きました。

5.イベント21~東京支店 リーダー①~

東京支店内でチーム変革があり、私がチームリーダーを務めさせていただきました。古田さんにやってみない?と言われた気がします。
初代チームTの誕生です。
メンバーは僕を入れて、3名。一人は入社は僕の方が半年早いにしろ、人生においては先輩の根本さん。
正直、かなり不安で、入社10カ月程の人間がチームリーダーで大丈夫なのか?
僕に新卒の教育なんて出来るのだろうかという不安がありました。
が、とりあえずやってみよう!ということでリーダーへ。
根本さんが良くできた子だったので、新卒教育ということはほとんどしていません。笑
正直に言うと、そもそもリーダーは何をしてあげるべきなのか、何を教えてあげるべきなのか。
まったく分からない状態だったので好きなようにやってもらってました。なのでこの時はリーダーらしいこと全然してあげられず…
この年は僕のリーダーとしての姿勢や考え方を大反省し、リーダー2年目へ突入します。

6.イベント21~東京支店 リーダー②~

リーダー2年目は新たに17新卒が入社し、僕はサブリーダーのいない17新卒2名のリーダーになります。この時の1人が次期イベント21全体マネージャーになる西川さんです。
この年は半同期の矢口さん、根本さんもリーダーを務め、古田さんがサブセクとなり東京支店の組織化がグッと進んだ年でした。
昨年の反省を踏まえ、メンバーの教育に重きを置いてました。メンバーの質問には即答える、仕事のやり方等々、年も変わらない後輩に偉そうに教えてました。笑
そしてこの年の繁忙期頃のタイミングで、高校のラグビー部時代に患った膝の靭帯が爆発します。
靭帯が伸びきってしまい、だるんだるんになっているという状態になり膝に穴をあけてボルトを入れる割と大きめな手術をします。
この時はチームメンバーにも支店メンバーにもご迷惑をおかけしました…笑

チーム作りの僕の心境としてはとにかくいいチームを作りたいという一心だったと思います。ただいいチームの意味をはき違えて考えていました。
そのあたりを古田さんとの面談時に話していただき僕自身の課題が明確になり、リーダー3年目になります。

7.イベント21~東京支店 リーダー③~

リーダー3年目もサブリーダー不在、18新卒の手川さん、平野さんをメンバーとして迎えます。今や東京支店にはなくてはならない存在の二人ですね。途中、中途入社の大熊君もチームT所属となり、計4人体制になります。僕にとってこの年の3代目チームTは思い出深いです。
1.2年を経てリーダーとしての反省を繰り返し、今年はしっかり叱れるリーダーを僕の目指すべきリーダー像としてメンバーに関わってました。しっかり叱れていたかは謎ですが。笑
この年のサマコンで手川がプラチナルーキー賞という最も優れた新卒の賞を、平野がリスペクトシニア賞というチームのサブリーダーに与えられる賞を、僕がビックボス賞というチームリーダーに与えられる賞を獲得します。
自分が生きてきた中でこういった賞を頂けることが全然なかったので、本当に嬉しかったですし、手川、平野が頑張ってくれたおかげだと今でも感謝しています。社長の「プラチナルーキー賞は…手川さん!」という言葉を聞いた時、僕後ろの方の席に座っていたのですが、めちゃくちゃ自分の太ももつねって泣くの我慢してました。笑 
ただ壇上では泣いてしまい、仕事で泣いたのは唯一この時だけです。笑

チーム全員で写っている写真がこれしかない。笑

この年はリーダーもやりつつ、ブランド力向上委員会の委員長もやらせていただき、自分自身挑戦の年でした。

この時、今まで変化することや挑戦をすることを躊躇っていた今までの自分から少し変われた気がします。
そんなリーダー3年目の終盤でさらなる挑戦の機会を得ることになります。

8.イベント21~千葉支店 サブセクションチーフ①~


関東に千葉支店ができる。というのが決まり、当時、神奈川支店のサブセクションチーフ福嶋さんが千葉の拠点長になります。
サブセクションチーフ誰にするんだろう?と思っていたある日、福嶋さんが東京支店に来て、仕事終わり飲みに行こうと誘われれます。
イベント21東京支店の飲みの場と言えばここ、駒込の熱中屋。

「回りくどいの嫌いだから、単刀直入にいうわ。千葉のサブセクやらない?」

千葉に誘ってもらった時のこと、今でも覚えてますし、素直に嬉しかったです。
ただこの時、即答とはいかず、少し考えさせてくださいと、その日は解散。
色々と悩みました。ですが、専門の時からの友達でこの会社に誘ってくれた泉貴がどんどん挑戦している、東京支店入社して色々と教えてもらった古田さんも挑戦している、この時、半同期の根本さんも東京サブセクに挑戦しており、後輩の西川さんは次期東京支店長として挑戦する覚悟を決めたときでした。
何より私に声をかけてくれた福嶋さんの想いに答えたい!と悩んでいるのが馬鹿らしくなり、2週間後くらいに千葉支店サブセクションチーフの話を受けました。

千葉支店1年目、福嶋さん、私、新卒2名の4人でのスタート。
この年の千葉支店は波乱万丈という言葉がお似合いすぎました。笑
イベント21で過ごしてきた中で一番悩みました。先輩としての在り方、支店全体でどうしていくか、本当に課題や問題が山積みでした。
この年で白髪増えたんですが、岩井や矢野に「白髪増えましたね~」って言われると「お前らのせいや!」というツッコミが定着しつつあります。笑
今では笑って話せるので、ご安心下さい。笑

まだ4月5月の頃なので仲良しなとき。笑

初めてのサブセクションチーフ。
今まではリーダーだったので支店のことも考えますが、重きはチームのことでした。サブセクとして支店運営や支店のビジョン、リーダー・サブリーダー不在の中での新人教育、倉庫と事務所を持つ拠点としての両立方法等々、考える幅が広くなり苦悩したことを覚えてます。ただ一番の苦悩は人間関係。笑
福嶋さんは精神がおかしくなり、急にメンバーに敬語で話し出すし、メンバーの岩井はある時、福嶋さんに怒られたことで今までのフラストレーションが爆発し、「私、福嶋さん嫌いです!」と上司に面と向かって言いやがるし、矢野は会社辞める辞めない騒動が2,3回ありました。笑
ただ、今思うとこういったことがあった方が乗り越えたときに一致団結感が増すこと、自分自身にとってもとても刺激的で振り返ると必要な日々だったなと感じます。
この年、僕の長年の課題であった叱ることのできる人!は解決します。笑

9.イベント21~千葉支店 これから~


コロナの影響もあり、各々が今自分は何を会社、支店にするべきか、できるかを考える日が多くありました。
今期、私のサブセクションチーフビジョンである、「新たな強みを生み出し続ける組織」では、コロナの影響で支店内のコミュニケーション不足を解消するため、メンバーが主体的に動いてくれ、「千葉会」と題し、リモートで顔を合わせて今どんなことをしているか、悩み、くだけた話し等々、新たなメンバー池田を加えた5名で行っています。また問い合わせを増やすため、千葉支店ブログの週5投稿のルーティン化を行いました。先日は今できることを!ということで、日々僕たちを現場に連れて行ってくれる千葉支店のハイエースの洗車や支店内の草抜きを行いました。

洗車で車も気持ちもきれいに!

コロナも少し落ち着いたとき、社長が千葉にいらっしゃり、飲み会へ!その時、現東日本マネージャーの古田さんもいらっしゃいました。
社長から今会社が大変革しているという話を聞きます。M&Aです。
そのM&Aの社長候補として、全体マネージャーの小杉さん、東日本エリアマネージャーの古田さんが上がことになるというのを聞きました。マネージャーが全員M&A先の社長になるかもしれないので、次のマネージャーを決めないといけないと。
そこで福嶋さんが手を挙げます。次期、東日本エリアマネージャーになりますと。
その場で、僕はそれなら千葉支店の拠点長なりますと手を挙げます。

ということで私は千葉支店の拠点長になります!

なぜ手を挙げたか。一番は人です。僕をこの会社に誘ってくれた専門時代からの友人である泉貴、入社してから東京支店で色々と学ばせてもらった古田さん、千葉に誘ってくれた福嶋さん。この3人がさらなる成長、挑戦をすることに刺激を受け、千葉拠点長やるのは僕しかいない!という想いで即答でした。
サブセクを受けた時よりも心境はさらに変わっているので答えを出すのは早かったです。刺激ある挑戦がしたい!という想いと、千葉支店もっと良くしていきたい!という想いと、僕にとって大きな存在の関東の3人への少しばかりの恩返しという想いです。

もちろん不安がないわけでもありませんが、自分の今までやってきたことに対する過信を拠点長に挑戦することで確実な自信に繋げたいと思っています。
社長がよく言うんですが、「まだ守るものないのに挑戦しないのはもったいない」この言葉、最近すっと自分に入ってくるし好きなんです。笑
だからせっかく話をもらえてるなら挑戦するしかない!と思います。

これからの千葉支店としては、今千葉の雰囲気が凄く良くて、メンバーも主体的に支店のことを考えてくれています。
この雰囲気のまま、まずは今ある課題(目標達成率、決定率、倉庫環境など)解決に向けての話し合いの場を月一で設けて、そのPDCAを回していきます。
またコロナウイルスの影響でお客様からの1件1件のお問い合わせの大切さを改めて理解できたので、アセスメントシートを活用した電話対応、営業トークを全員で磨いていき、目標達成に向けて行動していきます。

決めたことを継続しやり続けられる千葉支店にしていけるよう一致団結して行動していきます。
残り半分、今年の千葉は一味違うな!と思ってもらえるよう突っ走っていきます!